家の作り手から、販売する側へ転身
お客さまの想いに寄り添う提案を心掛ける
株式会社アイ建設【横浜市戸塚区川上町】
舩橋 光一
- もともとはクロス職人だったが
新しい挑戦がしたくて飛び込んだ - 先輩の背中からお客さま本位の姿勢を学び
会社トップの成績を収めるまでに成長 - 真面目に仕事をし続ければ
お客さまに認められる瞬間が来る - サービス力を高めるとともに
若手を支える存在も目指す
不動産業界を目指した経緯は?
もともとはクロス職人だったが
新しい挑戦がしたくて飛び込んだ
高校時代は機械科で学んでいたのですが、モノづくり自体は楽しかった反面、仕事となると別ジャンルに挑戦してみたいとの思いが芽生えたことから、卒業後はクロス工事会社の職人として3年ほど働いていました。住宅の新築や改装工事において、壁紙、クッションフロア、タイル、網戸といった内装全般を手掛けたほか、もともと表具屋だった会社なので、襖や障子に関わる伝統的な技術にも携わっていきました。
内装工事は、住宅建築のほぼ最終的な工程に位置付けられます。クロス職人が手を付ける前は、建物内には何もない味気ない空間が広がっているのみ。そこに自分の手でクロスを張り、床を敷き詰めていくことで、美しい部屋として仕上げていくのが楽しくて、モノづくりの醍醐味を堪能する日々を過ごしていました。
ただ、待遇等の面では満足行くものがなかったのが悩みの種でした。同業に転職したとしても、さして状況は変わらないことから、ならば視点を変えて別の道を探ろうと何気なく求人媒体を眺めていたところ、広告のトップにアイ建設の名を発見しました。正直、不動産についてもよくわかりませんでしたし、営業経験も全くのゼロ。それでも当時は新しく何かを始めたいという気持ちの方が勝って、思い切って挑戦をしていくことにしました。センチュリー21の看板を掲げているだけに、有名企業の傘下である安心感も背中を押される大きな要因となりました。
未経験からの入社で苦労も多かったそうですね
先輩の背中からお客さま本位の姿勢を学び
会社トップの成績を収めるまでに成長
確かに知識や経験が足りない面はあったものの、入社4ヶ月目には早くも契約を獲得することができました。営業的に特別なことはしていません。明確にほしい物件があったお客さまに巡り合ったという、文字通りの“ラッキー”で契約に至っただけ。これが勘違いを生む要因でした。待っていればそのうち同じような案件が来る――そんな消極的な営業姿勢となってしまったのです。
単なる“ラッキー待ち”では成果が出せるわけもありません。思ったように成績が伸びない時間が、かれこれ3年ほど続いたでしょうか。同僚に比べて契約数が少ないだけに、知識も経験も伸びない悪循環。このままではいけないとあがき続けていましたが、なかなかお客さまの信頼獲得に繋がりませんでした。
そんな中、当時のトップ営業の先輩にお願いして、何度か商談に同行させてもらったのが決定的な転機となりました。その先輩は「お客さまに対して何ができるのか」「何が一番、お客さまの人生を豊かにするのか」といった観点から、お客さま本位の真剣な接客を実践していました。ただただラッキーを待っていた私とは全く異なる先輩の姿に刺激を受け、それ以降はお客さまに対して、小さなことでもいいから“できること”を探していこうという思考になっていきました。
例えば、資料を作るときに乱雑にまとめるのではなく、お客さま一人ひとりの思いやニーズに合った形で、きれいに整頓をすることを意識しました。「くだらない嘘はつかない」も私の身上。わからないことがあったとしても知ったかぶりをせず、「わからない」とはっきりお応えするとともに、その代りに宿題として持ち帰って回答を調べ上げ、素早くお客さまにフィードバックしていくといったことを行っていきました。
そんな努力を重ねてくと次第にお客さまとの距離が近くなり、成約件数も自然と増えていきました。特にこの3年は右肩上がりで成果は出ており、2018年度はご入金という角度からは会社トップの成績を収めています。センチュリー21で一定の売上を取った営業にのみ送られる「センチュリオン」の称号も獲得。お客さまを最優先して考えれば、自ずと成績がついてくる。そう確信しています。
印象に残っている案件を教えてください
真面目に仕事をし続ければ
お客さまに認められる瞬間が来る
新人時代に出会ったお客さまが忘れられません。当時はまだ“ラッキー待ち”の営業スタイルでしたが、それでもお客さまに対して誠心誠意を込めた対応をする気持ちは持ち続けていたつもりです。懸命にご案内を繰り返して晴れて成約となり、引き渡しとなったその日、お客さまが「お世話になりました」と一本のネクタイをプレゼントしてくださいました。
住宅という高価な商品を買っていただいているのに、反対に感謝されるというのが嬉しくて、「この仕事をきちんとやっていれば、こんなにも嬉しい瞬間がやってくる」と感じました。その後、契約獲得に苦戦した時期にめげずにいられたのも、この原体験があったからかもしれませんね。今も大事な商談の日には験担ぎとして、このときに頂いたネクタイを身に付けています。
私の場合、長くお客さまと商談するケースも多く、2年くらいかけて内見を繰り返して、ようやく契約に至った方もいらっしゃいます。冗談で「本当に買うんですか?」と聞いてしまったことがあるのですが、これだけ長くお付き合いさせていただければ、信頼関係も強まり、そんなフランクな会話もできるようになるというわけです。
また、横浜で物件を探していた方が、半年ほどの話し合いを重ねた結果、最終的には埼玉での提案を受け入れてくださったケースもありました。そのお客さまとは本当に様々な角度から話をさせていただいたこともあって、仕事と関係なく二人で飲みに出かけたりもしていました。今も年賀状は必ず送りあうなど、人と人としてのお付き合いをさせていただいています。
仕事のやりがい、これからの目標は?
サービス力を高めるとともに
若手を支える存在も目指す
契約を締結した後、お客さまからかけられる「ありがとう」の言葉は素直に嬉しいですし、頑張った甲斐があると思う瞬間です。これからも多くの感謝の声を耳にできるように、お客さまのためにより良いサービスを提供し続けたいと思っています。
契約件数を出せるようになったとはいえ、接客サービスという意味では、まだまだ足りない面が多いとは痛感させられています。一人のお客さまに深く入り込んで、もっと考え尽くした提案をしていくのを目指していきます。
また、社歴も長くなってきましたから、下の社員を育成するというのも私の役目となっています。不動産営業というと個人プレーというイメージを持つ人もいるでしょうが、当社はチームワークが良く、営業同士が情報交換しながらお互いに成功を支えていく企業風土が根付いています。
新人時代、苦戦していた私を多くの先輩が支えてくださいました。昔の私と同じようなことで悩んでいる若手たちの背中を、やさしく押してあげられるような存在になれたら嬉しいですね。
イイタン一問一答
出身地は
横浜市です。
現在のお住まいは
横浜市の旭区です。会社からも近い場所です。
好きな駅は
出身地にも近いのですが、二俣川駅です。現在、再開発が急速に進んでおり、商業施設やタワーマンションが次々と建っています。将来的に相鉄線がJRや東横線と繋がる予定ですから、二俣川はますます発展していくことでしょう。
不動産業界に入ったきっかけは
クロス職人として働いていたのですが、違う道を探ろうと求人媒体を見ていたところ、一番上にあったのがアイ建設でした。不動産も営業も、全く未経験のまま飛び込みました。
不動産業界の楽しさとは
お客さまから感謝の言葉をかけていただける仕事である点に尽きます。「ありがとう」「いい家が見つかりました」「希望通り買うことができてお世話になりました」といった声を聞くと、また明日から頑張ろうと思わせられます。
尊敬している人は
祖父です。既に80歳を超えていますが、今も鉄工所で働く現役の職人です。かつては建築畑にいて、ランドマークタワーの工事にも携わったことがあると聞いています。年齢を重ねても仕事に対して真剣に向き合う祖父は、純粋にすごいと思わせられています。
イイタンについてどう思いますか
営業と“合うか、合わないか”で、住まい探しの質はガラリと変わってくるもの。問い合わせ前に、担当者がどんな人かがわかるのは、お客さまにとってプラスになると思います。
編集後記
もともとは家を売る側ではなく、家を作る側として働いていた舩橋さん。クロスをはじめとする内装系の職人だったことから、内見時には室内の色合いなどを専門的な立場からアドバイスを送ってくれます。アイ建設ではリフォームも請け負っていますが、これこそ舩橋さんの腕の見せどころ。職人視点で実態に即した提案をしてくれます。 趣味はスポーツ観戦。海外サッカーと野球をテレビで見るのを楽しみの一つにしています。サッカーゲームをプレーするのも好きですが、2018年7月に結婚をしたのをきっかけに、奥さんとの時間もできるだけ大事にしようと心掛けているとか。仕事も、趣味も、新婚生活も。充実した人生を送る舩橋さんとの商談は、話題豊富で楽しい時間となること請け合いです。
取材/撮影 佐藤 明生/並木 郁磨
株式会社アイ建設
舩橋 光一
神奈川県横浜市戸塚区川上町87-4 N&Fビル1・1F
1987年
生まれ
2006年
クロス会社 入社
2011年
アイ建設 入社
Pick Up Item
【メジャー、電卓、手帳】メジャーはご案内時の必需品。家具などが設置できるかどうかをその場でチェックするのに欠かせません。月々の支払いを計算する電卓、スケジュールをぎっしりと書き込んだ手帳が舩橋さんの“三種の神器”です。